ライブについて

 

むだなものが好きだ。むだなものは、必要なものよりずっとずっとおいしいからだ。「おいしいものは、脂肪と糖でできている」CMでもそう言っていたから、たぶん間違いない。生き延びるために開発された「宇宙食」なるものはまずくてとても食べられたものじゃない、と聞いた(今は味の改良が進んでいるらしい。がんばれ、頼む)。男と女が夫婦になり家族になり、身内と認識した途端に興味が薄れて「蜜の味」を外へ求めだすこともその延長線にあるような気がする。夫婦になったことはないけれど、まあ、分からないでもない。

 

ライブほど効率の悪いものはない。見られる人数はタイミングや会場の大きさによって簡単に制限されてしまうし、同じ内容のものを何度見ようと思っても再現することができない。そしてその手間がゆえ、地味に値が張る。一度きりのくせに。準備だって練習・稽古だって、その一度きりのためにどれだけの時間と労力を費やしているか、振り返りたくもない。さんざん準備してきたのにその準備の半分も活かせなかったなんてことさえある。ぶっつけ本番だからカットもミックスもできない。挙句、時が経てば忘れられてしまう。意識的に記録を残さない限り、何も残らない。

 

でも、それがいい。一度きりのぶっつけ本番、何が起きるか分からない。今日の今この瞬間限りの、二度と観られないものを観に行く。緊張を、高揚を、興奮を、演者や観客やその場に居合わせた人と共有する。それが「ライブ」だとするなら、もしかしたら私たちがライブに求めているものは演奏やパフォーマンスではない、のかもしれない。

 

ライブほどむだの多いものはない。あまりに非効率的だ。けれどそのむだの結晶のおいしさを知ってしまった私たちは、もう一度それを味わいたくてライブに足を運ぶ。どうせ忘れるくせに。むだなものはおいしくて中毒性がある。困った。

 

 

 

 

 

よしざわ るみ(おちけん)

1984年千葉県生まれ。会社員、随筆家。末っ子長女。極度の優柔不断なので私に向けてメニューを広げないでほしい。たまに落語をする。

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